美術を通して、これからの時代を生き抜く力を磨く!
美術工芸科
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美術を学ぶ高校生の思い
2014年4月に本校に入学してきた生徒の中に、宮城県出身の生徒がいました。この生徒は、震災直後、親戚や友だちが宮城にいながら自分たち家族が京都に引っ越してきて、苦しみや悲しみを背負っていました。中学から京都で暮らし始めたこの生徒は、銅駝に入学し「虹のアートプロジェクト」に出会います。そして夏季休暇中に、本校の生徒会の被災地代表派遣生徒ともに宮城へ帰省し,「虹のアートプロジェクト」の活動に参加しました。仮設住宅を訪問し住民の方が、「あなたの絵を贈ろう」の活動をとても喜んでいただいていることを知り、自分が学んでいる芸術に人を励ます力があるんだ」と思いました。この生徒は大震災と向きあった自分の思いを文章にまとめました。宮城野高校で作成していただいた『復興へ!高校生が架ける虹のアートプロジェクト』の冊子に、その文章が紹介されています。
大震災から10年経って、もう一度この生徒の文章を読み返し、このHPをご覧いただいている方にも知っていただきたいと思い、その全文を紹介します。
●「芸術の力」 京都市立銅駝美術工芸高等学校1年(2014年当時)
芸術の力とはどれくらい世の中に影響を与えるのだろうか。そもそも私は何のために芸術を学んでいるのだろう。ふと疑問に思った。楽しいから?それとも、何だろう。私が絵を描いたり、ものを造り出すことで世の中のためになる事はあるのだろうか。今年の夏、自分なりの答えが見えた気がした。私はもともと3年前の震災以前、宮城県に住んでおり震災の影響で中学に入ると同時に京都に引っ越して来た。震災直後、親戚も周りの友達も皆残っているなか、私の家族だけが引っ越したのは、私にとって大きな苦しみであり、悲しみだった。皆は大変な状況の中で頑張っているのに、私はこんなところで悠々と生活をしていてもいいのだろうか、一緒に支え合いたいのに何もする事ができない。初めはそんなことばかりが頭を巡り、とてももどかしい気持ちだった。
そんな中、私の、通っている銅駝美術工芸高校で行っている「あなたの絵を贈ろう」という活動と出会った。それは被災地の宮城県の美術高校と、その他の県外の美術高校が協力して宮城の仮設住宅にお住まいの方々に絵をプレゼントしようというものだ。これなら私も力になれるかもしれない。
こんなに誰かを思って絵を描いたのは初めてだった。言葉にはできないけれど、この絵を見た方に私の想いが伝わるように精一杯描いた。そして嬉しいことに、帰省と合わせて実際に生徒会のメンバーと共に仮設住宅にお住まいの方々に絵を配る活動に、私も同行させてもらえる事になったのだ。久しぶりの帰省。市内はすっかりもと通りになって活気づいていたものの、2年ぶりに訪れた沿岸部は予想以上に殺風景だった。瓦礫の山こそ少なくなったものの見渡すかぎり原っぱが広がり、津波の被害が生々しく残った建物がぽつぽつ建っている。震災から約3年半、ニュースで被災地の情報も減りつつある今、現地に行くまでに未だにこんなにも多くの人々が仮設住宅で暮らしているということも知らず、現状を見てショックを受けた。仮設はあくまでも「仮設」なのだ。3年目は明らかに無理がある。「少しでも勇気づけたい」という思いが募っていった。しかし、イベントが始まって私は驚いた。どれにしようか、とひとつひとつ丁寧に見てまわられる住民の方々の表情は、どれも笑顔で、溢れていたのだ。「毎年このイベントが楽しみなんです!」「1枚にしぼりきれない!もう1枚もらってもいい?」「絵を部屋に飾るだけで部屋も気分も明るくなるんです!」など沢山の言葉をかけていただいて、とてもとても嬉しかった。他にも他校の高校生がつくった木工のおもちゃで小さな子ども達が楽しそうに遊んでいたり、絵を囲んで明るい会話が弾んだり。
そんな笑い声を聞きながら、「あぁ、自分が学んでいる芸術にはこんなに素晴らしい力があるんだ」と思った。勇気を届けたくて行ったはずが、自分自身何倍も勇気をもらい、自分の中の大事なものに気づく事が出来た。芸術には人を幸せにする力があるのだ。幸せにするといったら、たいそうなことに聞こえるかもしれないけれど、案外身近な事だったのかもしれない。もちろんあの場で明るい面ばかり見たわけでなく、まだまだ復興は終っていないし、絵をみて津波で亡くなったお孫さんを思い出されたりと、簡単に人々の心の傷の癒えるのは難しい。そして現在、東京オリンピックによって、家が流されてしまった方々のための新しい住宅の工事が進まないそうだ。復興を後回しにしてまで都市の開発を進める現状。優先順位とは?と聞きたくなってしまう。実際に訪れたからこそ見えてくる問題がたくさんあった。また、仮設住宅で孤独死する高齢者の方々が急激に増えているそうだ。だからこそ、人と人とのつながりは今まで以上にとても大事になってくる。
震災はまだ終っていない。故に私はこれから何をしていけばいいのか考えていく必要がある。今回の経験で、気づきと課題が見つかったからこそ自分はひとまわり大きくなれた。私だからできること。自分の力を最大限生かせること、それが芸術だと思う。
芸術作品をみていると思ってもみなかった発見や、物の見方の変化、気付き、人の心に何か変化が生まれる。私はそんな作品が造り出せるようになりたい。もっと言うと、見た人が思わず笑顔になれるものが造りたい。そしてずっと長くその人の生活に寄り添っていけるような。そのために色々な事を経験していこうと思う。震災の経験も今こうやって大きな自分の糧になっている。嫌な事も楽しい事もすべて自分のにして、もの造りをしていきたい。
※宮城県宮城野高校制作『復興へ!高校生が架ける虹のアートプロジェクト』掲載