すべては君の「知りたい」からはじまる
普通科・探究学科群(人間探究科・自然探究科)
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「自分の一生を外部から回顧してみると,特に幸福には見えない。避けがたい運命を自覚を持って甘受し,よいことも悪いことも十分味わい尽くし,偶然ならぬ内的な本来の運命を獲得することこそ人間生活の肝要事」と物語の冒頭で本質を書いてしまうヘルマン・ヘッセの『ゲルト・ルート(春の嵐)』のフレーズに心が震えざるをえません。かような天候もポジティブな解釈と捉えていただければ幸いです。
まず,保護者の皆様にお祝いを申し上げます。お子様のご卒業,まことにおめでとうございます。私どもは,真の学力を向上させるためには,「教科書を理解したうえで,これとは違った観点から日常の事柄について批判的に考える」「自分事として研究テーマを探し,探究し,本質を見極めていく」といった習慣を身につけさせることが自立を育むと考え,試験対策の学習と並んで,思考領域を広げ,自分で疑問を見つけ失敗も学びと振返り,試行錯誤しながら柔軟に考え,かつ自問自答型の学習習慣を身につけるため,世界や社会,自然界で起きていることなどに広く興味・関心を持たせ,そして,そういった情報について,自分の問題として考え,うのみにせずに疑問を持って批判的な立場から考えたり検証したりする姿勢を持たせることにも力を入れてまいりました。近年,「想定外で対応できなかった」という言い訳が責任ある人から聞かれますが,これは自分の職務が何なのかを深く考えるよりも日々マニュアル化された業務をなぞるだけで済ませてしまうことにも起因するのではないかと思います。創造的な価値は既存のものをなぞるだけではなく,既存のものと違う発想で考え抜いてこそ創出できるのではないか,知識や知恵の「知」とは,向き合っているものの意味や意義を自分の感性と知性で問い直し,その本質に迫っていく思考の鍛錬によってはじめて磨かれる「物事を見極める力」のことではないのか,責任というのはそういった人でしか果たせないのではないのか,そういった人材育成上の問いを「探究」に込めてまいりました。「人を評価する時は,その人の答えではなく,その人がする質問で判断せよ」とはヴォルテールのコトバですが,知識の量もものすごく大切なのですが,「どのように考えることが出来る人なのか」も私どもは評価してまいりました。既存の問題にはめっぽう強いが,未知の問題となるとあまり手が出ない,そんな単なる難関大学進学校の集団ではなく,探究校,研究開発校として,自立する18歳を私どもとともに育成していくことは,ご父兄にとりましては,はらはら,ひやひや,どきどきの連続であったかと思います。この3年間,本校教育に対するご理解とご支援を頂戴いたしましたことに厚くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。過保護,過干渉が若者の使命感とチャレンジ精神をむしばんでいると指摘される昨今,皆様方のご理解にただただ感謝申し上げます。お子様はご卒業になりますが,これからも堀川高校をお見守りいただけることを願っております。どうぞよろしくお願いいたします。
さて,「葉」の皆さん。人生が初めから決まっているのであれば,私どもはこの世に生まれてくる必要はないのではないかと感じます。人生は出来レースであっていいはずはありません。勝ち組,負け組を作るな,威張るな,傲るな,「葉」の皆さん。経験値からこれなら成果が出るであろう,と考えられる場合には既成概念は非常にいい方向に作用します。例えば偏差値や合格判定なんかがそうです。一方でそれは「諦め」になっていませんか。心のありよう,取組む姿勢の違いが結果の違いにつながることは社会ではままあります。成長しない最大の理由はあきらめも含め,現状維持でいいという姿勢ではないでしょうか。これは年齢や職業に関係ないと思います。スポーツにあっても,技術だけでは勝てません。相手を敬い(過剰なリスペクトは必要ありません)お互いに高め合うことが結果的に自分にもプラスになります。ルールの下でフェアプレイで勝負しなければならず,卑劣で姑息な手段は無益であり,あくまでも自分が向上しなければなりません。公徳心の低下した社会だから,波風立てずに行くのが利口で無難だ,と安易に流されてはいけません。差別,独裁政治など変わりようがないと思われた困難ですら,理想のための汗をかいた人が変えてきました。私が臆病な18歳だったころ,世界は米ソ冷戦の最終段階を迎えておりました。1980年代のポーランドで起こった政治闘争の話を少しだけさせてください。グダニスクというまちはご存知でしょうか。バルト海に面した古びた造船所でポーランド民主化運動が起こりました。電気技師で労働組合「連帯」の指導者ワレサ,のちの自由化されたポーランドの大統領にしてノーベル平和賞受賞者です。対する軍事政権指導者ヤルゼルスキ。当時のポーランド人民共和国国家評議会議長が戒厳令を引いて,立ちはだかります。ヤルゼルスキは,ワレサの連帯の抵抗とクレムリンの凄まじい重圧の間で祖国ポーランドを背負って立ち止まることが許されない日々を歩み続けます。見方を変えると,同胞である連帯に弾圧を加え,逮捕を繰り返しながら,ポーランドの人的損害を最小限に抑え,クレムリンの最後通告だけは阻止する。立ち止まるか,足を踏み外せば,ソ連と東ドイツから戦車の大群が国境を踏み潰してやってくることは隣国ハンガリー,チェコでの最悪事態と自らのシベリヤ抑留体験で学習済み。常人には耐えがたい重圧の中,時間を稼ぎ,東欧民主化の大波に乗って,独裁者といわれたヤルゼルスキーはワレサの連帯に権力を明け渡します。人民共和国を収束させた彼は,潔く引退し,年金を頼りに質素に余生を暮らし,没します。経緯に運も味方したともいえます。時のローマ法王ヨハネ。パウロ2世がポーランド出身であったこと,ソ連のトップの保守派が立て続けに亡くなり,1956年世代といわれるフルシチョフのもとで出世した世代にチャンスが巡ってきたこと。ただし,いまでも彼に対する評価は分かれています。殺した敵の数を誇れる軍人は歴史上の英雄としてその名を残しますが,殺さなかった同胞の数を誇れる軍人はさらに優れているのではないかとの見方もできます。法的な評価よりも歴史家の評価にふさわしい人物であるとの意見もあります。意外に正義の味方には評論家が多いとの指摘もあります。サミュエル・ウルマン曰く「臆病な二十歳がいる すでにして老人 勇気ある六十歳がいる 青春のまっただ中 歳を重ねただけで人は老いない 夢を失ったときにはじめて老いる」。私は「葉」の皆さんとの対話を通して,人財を育てる仕事,すなわち世の中,そして未来をつくる仕事に関わってきたことを心より誇りにおもいます。あなたにとって最も印象的な出来事はと問われたとき,「次の取組」と答える人生を歩みたい。ありがとう「葉」の皆さん。成功した皆さんの姿だけでなく,困難と重圧の中で,振り返り,挑戦する姿にも出会いたい。そんな「葉」の皆さんの旅を心から応援します。
平成30年3月1日 第70回卒業式
京都市立堀川高等学校長 恩田 徹