「人とつながる音楽家」を目指して
音楽科
〒604-0052 京都市中京区油小路通御池押油小路町238-1[MAPを見る]
TEL. 075-253-1581 FAX. 075-213-3631
式辞
例年、卒業式では冒頭「弥生3月とはいえまだまだ寒さ厳しく、校内にある梅のつぼみもようやくほころび始め…」と挨拶してきた記憶があります。確かに昨日までと違い、今朝は雪もちらつく冷え込みとなりました。しかし、本校東門にあるその寒紅梅は、例年よりかなり早くすでに満開の時も過ぎ、次は早くも桜の開花、本格的な春を待つばかり。一抹の名残惜しさと、何となく心躍る春の気配。いづれにしても季節の移ろいや時の流れが年々速まっていくような、そんな感じさえする今日この頃です。
本日は、京都市立京都堀川音楽高等学校 第6回卒業証書授与式を挙行するにあたり、京都市教育委員会より、学校指導課 川浪首席指導主事様、PTA音友会 束原会長ならびに役員の皆様、京都堀音同窓会 川辺副会長ならびに 木下副会長様、堀音父母の会 寺内会長様、城巽自治連合会会長 香川様のご臨席を賜りました。厚く御礼申し上げます。ありがとうございます。
ただ今、第67期生39名に 卒業証書を授与いたしました。めでたくこの日を迎えた卒業生の皆さん、あらためて「卒業おめでとう」。本日受験のため、やむを得ず式に出席できない卒業生もいますが、健闘を祈りつつ、ともに卒業を祝福したいと思います。 また、保護者の皆様、本日のお子様のご卒業誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。 ご家族を含め、ここまで、決して平坦な道のりでなかったであろうと拝察いたしますだけに、今日の晴れの日をむかえられ、感慨も一入のことと存じます。ご入学以来、本校の教育活動にご理解をいただき、様々な角度からご支援を賜りましたことを、心より感謝いたします。ありがとうございました。
さて、3年前の入学式において、入学生だった君たちに私から…『 校歌「海を遠く」の歌詞にあるように、たたんだ翼をひろげ、恐れずに向かっていこう。今日から始まる「音楽」を通した学びの過程で、こころを合わせながら自らの個性を磨き、将来に繋がる大きな「人間力」を培わなければならない。その「覚悟」を3年間持ち続けてほしい。』と激励しました。そして式辞の最後に、草野心平の「道」という作品から、『わがいく道よ、正しくあれ。石ころゴロゴロたりとも、わがいく道よ、大きくあれ。』の言葉を贈りました。あの日壇上から見た67期生の印象は、個性的な、しかしまだあどけなさの残る、初々しいものでした。あれから3年…。君たちは皆それぞれに個性豊かな音色を奏でながら成長を遂げ、いよいよ、さらなる大きな「道」へと踏み出す時をむかえました。
もうすぐ70周年をむかえようとする、歴史と伝統を誇るこの名門音楽高校で、君たちは先輩たちの後に続き、音楽の専攻実技や専門知識はもとより、学力と教養、将来社会を生き抜くために必要な力を培ってきました。城巽地域の方々にあたたかく育まれながら、最新の恵まれた施設の中で、様々な行事や取り組みを通して仲間とともに、経験を積み重ね、新たな歴史を刻んできました。実技試験、オーケストラ定期演奏会、音高祭、ヨーロッパ研修旅行、等々。そしてもちろん、日々のHR、授業、レッスン、それらの経験のその度ごとに、まちがいなく着実に成長をとげてきたはずです。さらに、校庭に設置が実現した「ヒーリングスペース」に象徴されるように、生徒自治会を中心として、これまでなかった他校との交流や様々な呼びかけなど、新たな取組を通して、文字通り生徒自らがこの京都堀音の伝統をつくっていくのだという精神の礎を築いてくれました。きっとその思いは今後も後輩たちに受け継がれていくと信じています。私自身この3年間、思い返せばいろいろなことがありましたが、いつも新鮮な気持ちで模索し伝え合い、ともに充実した日々がおくれたこと、うれしく、みんなに感謝したいと思います。
今年1月の大学入試センター試験前日、LHRに出向き、『水到れば渠(みぞ)成る』の語を揮毫紹介しました。~水が流れ来ればひとりでに溝ができるように、深く地道に学を積めば道は修まるのだ~という自然の原理を示した禅語です。人生の岐路において自らの力を試される時、目先の結果のみを求めて必要以上に神経質になるのではなく、落ち着いて一人一人が未来をしっかり見据え、日々精進してきた己を信じて、堂々と力強く、そして時にはしなやかに水の如く「道」を切り拓いていってほしいと伝えました。
黒田孝高(官兵衛)は、自らを“如水”と号しましたが、著した「水五則」にはこう記されています。『一、自ら活動して他を動かしむるは水なり。二、つねに、己の進路を求めてやまざるは水なり。三、障害にあいて激しくその勢力を百倍し得るは水なり。四、自ら潔うして、他の汚濁を洗い、清濁あわせ容るる量あるは水なり。五、洋々として大海をみたし、発しては雲となり雨雪と変じ霧と化す。凝っては玲瓏たる鏡となり、しかも、その性を失わざるは水なり。』君たちには、官兵衛のたとえ示す「水」のように、常に与えられた才能を存分に活かして「音楽」を愛し発信し続け、人生としっかり向き合い、逞しく生きていってくれることを心から願うばかりです。
君たちの未来と、その期待や可能性は無限に広がっています。高校時代と違い、この先の道のりは 長く険しく、楽しいことばかりではない、苦悩の連続かもしれません。しかし、そもそも芸術の道は、一生かかっても窮まることの無い、どこまでも深いもの。しかし同時に君たちの人生もまだまだ長く深いのです。だからこそ、明るい未来を見据え、時間を無駄にすることなく、しっかりとした足取りで「本物」をめざして歩んでほしいと思うのです。いつまでも人に求めているだけでは自分の未来も世の中もかわりません。心の奥底から湧き上がる願望、それを信頼し確信に変え、懸念や不信を持たずに挑戦してこそ道は開けるのです。
現代社会は、情報化時代といわれて久しく、「時間」の流れはあまりに速く、世の中の変化とそのスピードに対応していくことの非常に困難な時代だと言わざるをえません。自然、民族や宗教、緊迫した国際情勢、政治、経済、文化、教育、情報、さらにスポーツや芸術文化においてまで、様々な分野で諸問題が浮き彫りとなり、時には到底理解しがたい、心の痛むニュースも報じられます。今こそ我々人間には「一人一人の限られた価値ある人生を、ともに尊重し合い、しっかり生きぬく」という原点に立ち返り、地球規模で人間の未来と平和を見つめる強い心と力が求められます。未来を担う若者には、落ち着いて、しっかりと物事の真理を求めて生きていく地道な姿勢が不可欠です。一生を真に充実して生きる道は、結局のところ、「今日」という日を真に充実して生きるほかないでしょう。時代はどのように移りかわろうとも、芸術文化が内蔵する大きな力は永久に不変です。せわしい、混沌とした時代だからこそ、「音楽」を追求し発信することの価値や可能性を模索し、この先も絶えることなく表現し続けてほしいと心から願っています。
67期生の巣立ちに際し、今日から、まぶしくきらめく、本物のかがやきを求め、恐れずに飛び立ち、大きく羽ばたいてくれることを祈念して、最後にもう一度この言葉をエールとして贈り、式辞とします。
『67期生のいく道よ、正しくあれ。たとえ石ころゴロゴロたりとも。君たちのいく道よ、大きくあれ!』
平成28年3月1日
京都市立京都堀川音楽高等学校長
山 脇 護