美術を通して、これからの時代を生き抜く力を磨く!
美術工芸科
〒604-0902 京都市中京区土手町通竹屋町下る鉾田町542[MAPを見る]
TEL. 075-211-4984 FAX. 075-211-8994
式 辞
鴨川河畔に咲き誇った桜が満開の時を過ぎ、川面が、零れ桜に染まるこの佳き日、京都市教育委員会をはじめ、PTA会長様、平素より本校にご支援をいただいております美工交友会、京都パレスライオンズクラブ、銅駝自治連合会のご来賓の皆様、そして、多数の保護者の皆様のご臨席を賜り、平成三十年度 京都市立銅駝美術工芸高等学校、第三十九回 入学式を挙行できますことは、誠に大きな喜びであり、本校教職員を代表いたしまして、心よりお礼申し上げます。
ただ今、九〇名の新入生の入学を許可いたしました。まずは、新入生の皆さん、ご入学、おめでとうございます。皆さんを本校の生徒として迎えることを、教職員一同たいへんうれしく思っております。
保護者の皆様、本日はお子様のご入学、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。お子様が本校を志望されるにあたり、保護者の皆様が、本校の教育をご理解いただき、進路実現を目指すお子様を励まし、ご支援くださいましたことに、あらためて感謝申し上げます。これからの三年間、教職員一同、力を尽くしてお子様の成長を支援してまいります。どうかご理解、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。
本校は、明治十三年、一八八〇年に「京都府画学校」として創立され、今年度で一三九年目、現校地で銅駝美術工芸高校として開校してから、三十九回目の入学生を迎えることとなりました。長い歴史と伝統をもつ本校を卒業された諸先輩方は、美術界、産業界、教育界ほか、各方面で活躍されておられます。皆さんは、本日、晴れてこの歴史と伝統のある学校の生徒になりました。銅駝美術工芸高校の生徒として、しっかりとした自覚と誇りをもって、志 高く、学習に取り組んでください。皆さんは、今、期待と不安の交錯する気持ちでこの場所に臨んでいると思います。入学の時のその新鮮な感覚を大切にし、美術専門高校での第一歩を踏み出してください。
はじめに、ひとつの文章を紹介します。
「見ることは喋る(しゃべる)ことではない。言葉は眼の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて、一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫(すみれ)の花だとわかる。何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君は、もう花の形も色も、見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って(はいって)来れば、諸君は、もう眼を閉じるのです。それほど、黙って物を見るという事は難しいことです。菫の花だと解かるという事は、花の姿や色の美しい感じを、言葉で置き換えて了う(しまう)ことです。言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま持ち続け、花を黙って見続けていれば、花は諸君に、嘗て見たこともなかった様な美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。」これは、小林秀雄さんの『美を求める心』というエッセイの一文です。本校では、「観ること」「感じること」「考えること」「表現すること」を大切にした学びがたくさんあります。そして、美術専門科目だけでなく、普通科の科目、学校行事などあらゆる活動の中で、このことを重視しています。この四つの営みは、学校の中だけでなく、これからの社会で生きていく上で、なくてはならない営みです。皆さんの三年間の旺盛な学びを期待しています。
入学式にあたり、新入生の皆さんに、校長として二つの大切なことをお話しします。
一つ目は「ありのまま」ということです。私たちは、この世にかけがえのない命を授かり、生まれてきました。誰ひとりとして同じ人はいません。唯一無二の存在として、生きてきた環境も、出会った人も異なり、考えてきたこと、悩んできたことも異なります。そのことに良い悪いはありません。どうか、人と異なることに不安をもたないでください。ありのままの自分を、否定しないでください。本校はまず「ありのまま」の皆さんを、受け入れて尊重します。人と異なる皆さんが、「ありのまま」を大切に素直に学べば、「観ること」「感じること」「考えること」「表現すること」は、自ずと違ったものになります。それがアートです。個性は尊重されなければなりません。しかし、個性は生まれたときから変わらないものでも、また何が個性か探すものでもありません。「ありのまま」の自分が個性です。人は、出会いと経験で成長し、その人の個性も変化します。この三年間「ありのまま」を認めながら、変化することを恐れず、むしろ殻を破って自らの魅力を高めてください。
二つ目は「多様である」ということです。人が唯一無二の存在であれば、この世の中は当然多様であるということです。他者の「ありのまま」も、当然尊重されなければなりません。京都市立芸術大学の鷲田清一学長は、その著書『まなざしの記憶』の中で、「他人を理解するということは、その人と自分が同じ存在ではない、ということを思い知ることから始まる」と述べています。また、劇作家・演出家の平田オリザさんは、その著書『わかりあえないことから』の中で、「何でわからないんだ」「どうせわからないだろう」とあきらめるのではなく、「異なる価値観に出くわしたときに、物怖じせず、卑屈にも尊大にもならず、粘り強く共有できる部分を見つけ出してゆく」「そういう対話を繰り返す」ことの大切さを述べています。社会は多様です。そして銅駝も多様です。その銅駝で、自分と異なる仲間を認め、対話することで、異なったものの見方、考え方、価値観に触れ、自分を見つめ直してください。人は多様な中でこそ、広く深く成長するのです。
さあ、皆さんの高校生活が始まります。ありのままの自分を否定せず、しかし、その自分に留まるのではなく、気づかなかった自分を発見し、広さと深さを増していく、かけがえのない三年間です。学校は、「希望を創るところ」です。これまでは学校に入学することが「希望」であった皆さん、今日からこの銅駝で新しい「希望を創る」のです。「希望」は、もらうものでも、探し出すものでもなく、創り出すものです。そのために、自らの表面積をいっぱいに広げ、銅駝の学びの中で出会う「ひと」や「もの」、「こと」に、しっかりと向き合い、自らの力で主体的に関わり合うことを大切にしてください。
今日から始まる、銅駝美術工芸高校での生活。皆さんが、多様性の中で自らを磨き、大きな希望を創っていくことを心より願い、式辞といたします。
平成三十年四月九日
京都市立銅駝美術工芸高等学校長
吉田 功